NEW TERM SERIES: Vol.2 / EXPECTATION
【連載:新学期と不登校】
4月のカレンダーが開くとき、社会は一斉に「新しい始まり」を祝います。しかし、その光の中で立ち止まり、教室という「型」に違和感を抱く子どもたち、そしてその傍らで不安に揺れる親御さんがいます。
不登校は、決して挫折ではありません。それは、不適合な環境から自らの心と命を守るために敢行した、能動的な「学校からの脱出」であり、自分らしい学びを再構築するための「調律(チューニング)」の期間です。本連載では、既存の教育観から親子をアンロック(解放)し、新しい学びのカタチを共に見つけるための視点を、多角的な分析と共にお届けします。
期待と絶望のループから抜け出す「期待値ゼロ」のすすめ
——外部環境に左右されない、揺るがない家庭の土台を作る
「クラス替えで仲の良い子と一緒になれば……」「担任の先生が理解のある人なら……」。新学期、親の心には淡い期待が宿ります。しかし、その期待こそが、実は親子を最も苦しめる刃になることがあります。
■ 「期待」という名のギャンブルを終わらせる
不登校の親御さんにとって、4月の新学期は一種の「賭け」のような心理状態になりがちです。環境さえ変われば、子どもは元に戻るのではないか。そうした淡い期待は、現実が期待通りにいかなかったとき、巨大な「絶望」となって親子の心を直撃します。
ナチスの強制収容所を生き抜いた精神科医、ヴィクトール・フランクルは、その不朽の名著『夜と霧』の中で、過酷な状況下で真っ先に命を落としたのは「クリスマスには出られるだろう」という根拠のない期待を抱き、それが裏切られた人々であったと記しています。
学校の体制、担任の質、クラスの雰囲気。これらはすべて、自分たちではコントロールできない「外部要因」です。そこに幸福の基準を置くことは、人生のハンドルを他人に明け渡すことに他なりません。フランクルが説いたのは、どんな極限状態であっても、「自らの心の持ちよう(態度)」だけは自分自身で選ぶことができるという、最後の自由です。
「学校がどうあれ、わが家はわが家である」という、良い意味での「期待値ゼロ」の境地こそが、親子を外部の嵐から守る最強の盾となります。
■ 「課題の分離」で心の境界線を引く
絶望とは、期待と現実のギャップから生まれます。4月の第1週、期待しては裏切られ、親子で涙を流す。この消耗戦を終わらせるためには、アドラー心理学の核心である「課題の分離」を実践する必要があります。
ベストセラー『嫌われる勇気』の中で、岸見一郎氏と古賀史健氏は、「その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰か」を考えるべきだと説いています。
学校へ行くか、行かないか。これは子どもの課題であり、親の課題ではありません。親が「行ってほしい」と期待し、それが叶わないことに絶望するのは、他者の課題に土足で踏み込んでいる状態です。
期待を手放すことは、突き放すことではありません。むしろ、子どもを一人の独立した人間として尊重し、その子が選ぶ「今」をまるごと信頼するという、最も能動的で愛情深い決断なのです。
■ 揺るがない「家庭の土台」をデザインする
「期待値ゼロ」のスタンスをとることで、家の中から「登校を促す無言のプレッシャー」が消えます。その時、家庭はようやく本当の意味での「心の避難所」としての機能を取り戻します。
朝、子どもが起きてきたこと。一緒に食卓を囲んだこと。たわいもない冗談で笑い合ったこと。学校というフィルターを通さず、そんな当たり前の事実にのみフォーカスする。この積み重ねが、外部の嵐に左右されない強固な土台となります。
■ 自由は、期待を捨てた場所にある
新学期の喧騒の中で、あえて「期待しない」という選択をする。それは、世間の価値観という「型」から、親子をアンロック(解放)するための最も重要なステップです。
外部の評価や、誰が決めたかわからない「普通」を手放したとき、目の前の子どもが本来持っている輝きが、ようやく見えてくるはずです。期待値ゼロ。それは、絶望への入り口ではなく、本当の意味で親子が自由になるための、輝かしいスタートラインなのです。
期待という名の呪縛を解き、
わが子という名の希望を、そのままに見つめましょう。
さらに深く知るための推薦図書
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