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【後編】運転士さんは「元・不登校」——不登校体験から学んだ生きる力―― 小田急電鉄株式会社・運転士 別所尭俊

 

「自分が思っているより、世界は本当に広いんだよ」

 

不登校の子どもたちにメッセージを送るのは、小田急電鉄株式会社で運転士として働く別所尭俊さん。別所さんは「不登校にならなければ良かったと思うことはない」と語ります。

 

別所さんは小さなころから鉄道が好きで、電車の見える公園に行ったり、駅で新幹線を見たりと、鉄道愛を育んできたといいます。かつては「かっこいい!」と憧れの目で見る対象だった運転士という職業に自らが就き、今は子どもたちの「かっこいい!」のまなざしを受けて鉄道を走らせる。そんな別所さんは、中学1年生から卒業までの3年間、不登校でした。

 

インタビュー後編である今回は、運転士という職業に就くまでのロードマップを中心に話していただきました。不登校を経験したからこそ今があるという別所さんは、いったいどのような経歴を経て現在に至るのでしょうか。不登校の当事者だった別所さんの考え方が、現在不登校問題に悩む方の参考になれば幸いです。

 

 

インタビュー記事前編は【こちら】から!

 

 

【プロフィール】

別所尭俊(べっしょ・たかとし)

 

・小田急電鉄株式会社 海老名乗務所・運転士
・1996年生まれ。2017年、小田急電鉄株式会社へ入社。現在入社7年目。
・生まれは梅が丘。さいたま市・練馬区で育つ。
・不登校期間は中学校1年6月頃~卒業まで。

 

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【この記事のポイント】

✔ 「やりたいことはなんだろう」とゆっくり考えたことで道が開けた
✔ 不登校時代があったからこそ、今の自分ががある
✔ 子どもたちの目の前には、広い世界が広がっている!
✔ 親御さんは心と身体を大事に、周りに上手く頼って

 

 

 

運転士になるまでのロードマップ

 

——ではぜひ、現在の運転士の仕事に就くまでの流れを教えてください。鉄道関係の仕事に就きたいというのは、小さいころからの夢だったのでしょうか?

 

小学生のときは鉄道と同じくらい野球も好きで……ご多分に漏れず将来の夢には「野球選手」と書いている子でした。

 

 

——小学生のときの夢はプロ野球選手だったのですね!

 

はい。けれど中学校に入り学校に行けなくなって、野球をガツガツやるような感じではなくなり「ああ、もう野球選手にはなれないな」と思っていたんですね。

 

不登校のころっていうのは、なかなか将来のことは考えられないのですが、いずれどこかで仕事をしないといけない、食っていかないといけないというのは頭の片隅にはあったようで……心のエネルギーが戻ってきたころには、「将来なにかしらで働かないといけないな」というのは認識するようになりました。

 

大きなきっかけとしては、中学校2年生くらいのころ。

私の通っていた中学校は中高一貫でした。そのため、「卒業させることはできます」「高校に入ることも可能です」と。ただし「一貫校で勉強の進度も早いので高校に行ったとしてもまず間違いなく1年は留年になるでしょう」と言われました。

 

幼心に、留年という言葉を聞いて嫌だなぁと思いまして。当時の自分の考えとしては、「高校に行かないと就職もできないだろう」と漠然と思っていました。なにかしらで働かないといけないし、高校にも行かないといけないし、と思ったときに、「好きな鉄道に関わる仕事につけるといいな」というのを考えるようになりました。

 

 

——進路選択のタイミングで、好きなこと……鉄道に関わる仕事がしたいと思ったわけですね。

 

どうにかして高校に通いたいと思ったので、その意思を親に伝えました。

そうしたら、親がスクールカウンセラーの先生から東京都立新宿山吹高校という、昼夜間定時制の高校を紹介してもらいました。今は変わってしまいましたが、当時学力試験と内申点の比率が20:3。内申点が関係なく、試験で点数が取れれば入学できますよ、という高校でした。じゃあそこに通えるように勉強してみようと決めて、無事合格しました。

 

 

——スクールカウンセラーの先生と親御さんのサポートもそうですが、目標を決めて勉強をスタートし、見事合格した別所さんのパワーもすばらしいですね。やはり、運転士になりたいという夢への想いからでしょうか?

 

当時はまだ運転士になる!というよりは「鉄道に関わる仕事がしたい」くらいでしたね。けれど、そのときくらいから「鉄道に関わる仕事ってなんだろう?」と考え始めると……運転士や車掌ってかっこいいよなぁと思い始めます。

 

高校1年生の夏休みの課題で、オープンキャンパスに行ってくるというものがありました。そのとき、専門学校のオープンキャンパスで「鉄道サービス学科」というものがありまして。鉄道業界に就職したい人がいく、就職予備校のようなものです。

「これはいいじゃないか」と。「ここに進めば鉄道に関わる仕事につけるのではないか」と思い、この学校に進もうと心のなかで決めました。

 

進んでいくうちにだんだんと「運転士になるものだ」という気持ちになってきて、今に至るという感じです。新宿山吹高校を出て専門学校に進み、小田急電鉄に入社したあとは、会社のなかの運転士になるためのステップを踏んで、運転士になりました。

 

 

——「運転士になるものだ」という心の持ち方がすごいです。

 

周りで同じような目標をもっている人がいると、自然とそういう気持ちになれるというのは大きいです。専門学校に入ってからは、周りがみんな鉄道関係の仕事につくんだという想いをもっている人ばかりだったので、みんな「どこそこの鉄道会社に入りたい」「新幹線の運転士になりたい」そういうことを目標に掲げていました。私も自然とそのなかで「運転士になる」と思えたという感じです。

 

 

——鉄道サービス学科という環境を選んだ、ということが別所さんにとってプラスだったということですね!

 

そうですね!大きかったと思います!

 

 

——高校入学を決めて、さらにそこから鉄道サービス学科を選ぶという流れが、自分で自分の道を切り開いていく強さを感じて、とても勇気づけられます!

 

 

 

子どものころに憧れた「運転士」に今自分がなっている

 

——小田急電鉄で働くことが決まったときの気持ちを教えてください。

 

めちゃくちゃうれしかったですね!

今でも当日電話がかかってきたときのことは鮮明に覚えています。当時練馬に住んでいたので、池袋で買い物をしてから帰ろうと思っていました。

買い物をしている最中に、登録してあった人事の番号から電話がかかってきて……「ぜひうちに来ていただきたい」という話をもらったときはもう、手が震えました。

「これでちゃんと鉄道の仕事ができるんだな」という1個の大きな目標を達成できたというので、非常にうれしかったです。

 

 

——すてきです!

 

そのとき買い物をしていたのは別の鉄道会社が経営している百貨店だったというのは内緒なんですけどね(笑)

 

 

——働いていて「楽しい!」と思うのはどんなときですか?

 

運転士という仕事のテクニック面でのやりがいに加えて、沿線のお子さん、親御さんに手を振ってもらえることです。「かっこいい!」という目で見てもらえることも多いですし、そういったふれあいができたときに、この仕事を選んでよかったなと感じます。そのために仕事をしているといってもいいかもしれないくらい楽しい瞬間ですね。

 

仕事なので、しんどいことももちろんありますが、お子さんのそういうリアクションを見ると「悪くないな」と思って頑張れる。これは、職場の仲間みんなが思っていることかなと思います。

 

 

——別所さん自身も、そうやって手を振ってもらって憧れた過去はありますか?

 

めっちゃありますね!(笑)

運転士さんの後ろの窓からのぞいたり。車掌さんが好きだったので、一番後ろに行ってアナウンスしている姿を見たりも子どもの頃よくありました。そういう経験を自分もしているので、お子さんと触れ合う機会があると嬉しいなと思いますね。

 

 

——かつては憧れだった存在に今自分がなっている、というのは夢がありますね。

では、別所さんがこれから挑戦していきたいことはなんですか?

 

人生の大きな目標の1つだった「大好きな鉄道に関わる仕事をして生きていく」ということについては、運転士になって到達できたという思いがあります。……もちろん、運転士としてはまだまだこれから覚えないといけないこともたくさんありますが。

 

自分がこれまでの人生の中で体験してきた大変だったこと、つらさということに関しては、

自分と同じようにしんどい思いをしているお子さんや親御さんに対してなにか力になれることはないかな、というところで、挑戦していきたいと思っています。

 

 

——先ほどのお子さんとのふれあい、という話にも繋がりますか?

 

そうですね。自分もまだまだ26歳ですが、自分よりも下の世代やお子さんたち、それを支える親御さんたちが、気持ちよく楽しく生きられるようにしていきたいというのは、我々世代、大人がやらないといけないことなんだろうなというのはすごく感じます。

 

また、自分自身不登校を経験をした身としては、当時自分にとってありがたいアクションをしてくれた人たち1人1人に恩返しをするのは難しいと思っているので。その恩を送っていくと言いますか。次の世代に渡していけたらいいのかなと思っています。

 

 

 

不登校になったからこそ、見えたものがある

——不登校時代の自分に一言伝えられるとしたら、どんな言葉をかけたいですか?

 

私個人としては、不登校を経験して良かったなと思っているんですね。

悪く言うと融通の聞かない人間だったので、不登校を経験したことで、社会は自分の価値観だけで生きていけるものではないんだなということを身をもって学べたという側面もあります。不登校にならなければ良かったと思うことはないです。

 

そうだったらどうなっていたかな?と想像することはありますが、当時の自分に一声かけて事態が変わるかというと多分そうではないし、人生が変わるような言葉は掛けたくないというのが正直なところです。

あえて一声かけるとしたら……「親を大事にしろよ」とかですかね。

 

 

——不登校時代があったからこそ今がある、というメッセージ!とてもすてきです……!

 

もちろん、そう思えるまでにかかる時間には個人差はあるとは思います。ですが、「不登校経験者だけれど、そんなふうに思えている人もいるよ」と知ってもらえるとすごくうれしいです!

 

 

不登校に直面するお子さん・親御さんへのメッセージ

 

——では最後に、現在不登校のお子さん、保護者に向けてメッセージをお願いします。まずは、お子さんに向けたメッセージから。

 

お子さんに対しては、「自分が思っているより、世界は本当に広いんだよ」と伝えていきたいです。自分たちとしても、これからそういう想いをもってやっていきたいと思っています。やっぱり、学校に通うことが全てと思ってしまうのは致し方ないことだとは思いつつ、だからといって社会に出ると意外と世界は広くて。自分たちの知らないことやできないことはすごーくたくさんある。それをちょっとずつやっていくだけでもすごく楽しくて。

学校は大切なことを学べる場所ではあるものの、そこだけに縛られないといけないというのは違うと思うので。非常に大きい世界がみなさんの前には広がっているというのを、お子さんには伝えたいと思います。

 

 

——親御さんに向けてはいかがでしょうか。

 

親御さんに対しては、すごく難しいことだとはわかっているのですが、体調面に気を付けていただけたらと思います。子どもは敏感で、親御さんの一挙手一等足を意外と見ていて、自分のせいで親御さんが体調を崩してしまったり、仕事をやめなければいけなかったりというのを非常に感じ取る生き物だと思っています。

 

それを支えていかないといけないというのが親御さんの難しいところでもあると思うのですが、やっぱりどこまでいってもお子さんが一番頼れるのは親御さんかなと思います。

その親御さんが倒れてしまうと、お子さんも一緒に倒れてしまうことにもなりかねないので。大変なことだとは思いますが、まずは親御さんがご自分のお体と心を大事にしていただくのが一番いいのかなと思います。

 

今は「保護者への支援も大事だよね」というところで活動されている方もたくさんいますので、そういったところも頼っていただくのがいいのかなと、生意気ながら思っております。

 

 

不登校の当事者だったこそのメッセージ

不登校だったからこそ、自分の好きなことと向き合い、大好きな「鉄道」に関わる仕事について活躍している別所さん。不登校を経験した当事者だったからこそのメッセージが胸に響きました。

そんな別所さんの夢は、自分と同じようにつらい経験をしているお子さん・親御さんの手助けをすること、というお話も素敵でしたね。今度は別所さんご自身が、現在不登校で悩むお子さん・親御さんたちにとってのロールモデルとしてご活躍される姿を見るのが本当に楽しみです。

 

別所さん、インタビューありがとうございました!

 

\わっしー&べっしー/

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別所さんと同様不登校を経験し、現在は小田急電鉄の運転手をしている鷲田侑紀(わしだ・ゆうき)さんのインタビュー記事はこちらから!

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