子どもの不登校に悩み、戸惑いながらも前を向いて「今を、生きる」
今回はWATASHIの取材を通じて出会った明美さんの特別インタビューをお届けします。

寄り道は、自分だけの道。
――「母」という役割の前に、ひとりの私として生きる 「今日の図工、何を描けばいいかわからないから行きたくない」 小学校低学年のわが子が漏らしたその言葉は、私の胸の奥に静かに波紋を広げました。
かつて、周囲から「いい子ね」と言われて育った私。 親の顔色をうかがい、心の中にあったはずの反抗心をぎゅっと押し殺して大人になった私にとって、目の前で自分の「嫌だ」を素直に口にするわが子は、どこか眩しく、誇らしくさえ見えたのです。
教員として多くの子供たちを見守ってきた経験があるからこそ、確信していることがあります。 「育て方」や「環境」のせいにする声に惑わされる必要はない。大切なのは、学校に行くか行かないかではなく、その子が「自分の足で立っているか」なのだと。
私たちは、カレンダーに「調整日」という名前の休日を作ることにしました。

学校の外に広がる、彩り豊かな学び
現在、娘は週に数日、個性を尊重してくれるオルタナティブスクールに通っています。
そこでは、画一的な正解を求められることはありません。
家での彼女は、宿題こそ手に取りませんが、大好きなオンラインゲームの攻略法を調べるうちに、驚くほどの速さでタイピングや英語のフレーズを覚えてしまいました。 週末に父親とスパイスからカレーを作る時間は、彼女にとっての計量(算数)や化学反応(理科)の実験室です。
また、夢中になっているスポーツ教室の練習に打ち込み、地元の試合で汗を流す姿を見ていると、「学び」とは本来、知りたい、やりたいという好奇心の先にあるものだと教えられます。
「課題の分離」がくれた、お互いの自由
私は時々、娘にこんな冗談めかした話をします。
「お母さんの言うことを全部真に受けなくていいよ。理不尽に怒っちゃう日もあるし。それは先生だって大人だって同じ。自分の心の声の方を信じなさいね」
これは、アドラー心理学で言う「課題の分離」。 私は私の人生を生き、娘は娘の人生を歩む。
親子であっても、別の人間なのだという境界線を大切にしています。
だから、私は「お母さん」であることを一度脱ぎ捨てて、自分の人生も欲張りに楽しむと決めました。 2026年の「ウィッシュリスト」には、大好きな北欧デザインの雑貨を集めることや、推しているアーティストの遠征ライブに行く計画がびっしり。 昔から得意だった語学の勉強も再開し、オンラインで海外の友人と話す時間は、私の心を軽やかにしてくれます。

世界は、思ったよりもずっと広い
かつての私がそうだったように、狭い価値観の世界だけで自分をジャッジしてほしくない。
「いつか二人で、1ヶ月くらい海外の小さな町で暮らしてみようよ」 そんな話を娘にしています。 言葉も文化も違う場所に身を置けば、今の悩みがどれほど小さなことか、きっと肌で感じられるはずだから。
母親が、自分の人生を面白がって生きていること。
それが、不登校という選択をした娘に贈ることができる、私なりの一番の「エール」だと思っています。



