「褒めたい」のに「叱ってしまう」のは性格のせい?
—あなたを追い詰める「正しさ」の正体

 

夜、子どもが眠りについた後。静まり返ったリビングで、昼間の自分の言動を振り返り、激しい自己嫌悪に陥る。そんな経験はないでしょうか。「明日は優しくしよう」と誓ったはずなのに、翌朝にはまた、些細なことで声を荒らげてしまう。あなたが今抱えているその「苦しさ」は、決してあなたの性格の問題だけではないのです。

■ あなたが「叱ってしまう」3つの構造的な理由

なぜ私たちは、愛しているはずの我が子を褒めることができず、ついつい叱ってしまうのでしょうか。そこには、私たちを取り巻く「型」の存在があります。

1. 脳が備える「生存本能」のトラップ
人間には、良いことよりも悪いこと(危険や異常)に敏感に反応する「ネガティブ・バイアス」という本能が備わっています。野性の時代、私たちは危険を察知することで生き延びてきました。現代において、その本能は「子どもの不適切な行動」に向けられます。「宿題をしていない」「朝起きられない」といった事象が、親の脳内では「将来の生存を脅かす危機」として処理され、反射的に叱るという攻撃行動(防衛)へ繋がってしまうのです。

2. 「減点方式」の教育観という刷り込み
私たちは長らく、100点満点から間違った箇所を引いていく「減点方式」の教育を受けてきました。「できて当たり前、できないことは問題」という価値観は、私たちの思考の根底に深く根を張っています。そのため、子どもが元気に生きているという100点満点の事実よりも、欠けている「数点の不備」にばかり目が向き、そこを埋めようと必死になってしまうのです。

3. 「世間の目」という名の無意識の監視
「ちゃんとしつけなければ」「周囲に迷惑をかけてはいけない」。このプレッシャーは、親を「子どもの味方」ではなく、「社会のルールを遵守させる監視員」という立ち位置に追い込みます。特にお子さんが不登校や葛藤の中にいるとき、親は「自分の育て方が間違っていたのではないか」という不安から、過剰に子どもをコントロールしようとしてしまいます。

■ 「褒める」の前に、自分自身を許すということ

「もっと褒めなさい」というアドバイスが、かえってあなたを苦しめてはいませんか。実は、「褒める」という行為は、心に余裕がなければ極めて難しい高度な技術です。

心理学には「鏡の法則」という言葉があります。自分自身を認め、褒めることができていない人は、他人の良さを見つけることも困難になります。あなたは今、自分を「ダメな親だ」と裁いていませんか? 自分を叱り続けている心の状態で、子どもを褒めるエネルギーを絞り出すのは、ガソリンが切れた車を無理やり動かそうとするようなものです。

平野歩夢選手の父・英功氏が、周囲の「学校へ行かせるべきだ」という喧騒を跳ね除け、我が子の可能性を信じ抜けたのは、彼自身が「世間の物差し」ではなく「自分自身が納得できる物差し」を持っていたからです。親が「世間の目」や「理想の保護者像」といったしがらみから解き放たれ、「私は私でいい」と錨(いかり)を下ろしたとき、初めて子どものありのままの姿が見えてくるのです。

■ 視点を変える——「評価」から「発見」へ

今日からできる小さな一歩は、無理に「褒める」ことではありません。それは、「評価」することを一度脇に置き、ただ「発見」することです。

「凄いね」「偉いね」という言葉(Good/Badの評価)が出なくても構いません。「今日は10時に起きたね」「そのゲーム、面白そうだね」「お水、飲んだね」。ただ起きた事実を言葉にする。これを私たちは「実況中継」と呼んでいます。

評価を伴わない関わりは、子どもにとって「自分は監視されているのではなく、見守られている」という安心感に繋がります。そして、その安心感こそが、「心の安全基地」の土台となるのです。

■ 不登校は、親子の「新しい関係」を創る準備期間

不登校という時間を、「トラブル」と捉えるか、それとも「親子が本当の信頼を結び直す準備期間」と捉えるか。その分かれ道は、親が「叱ってしまう自分」を許せるかどうかにあります。

完璧な親など、この世に一人もいません。ついつい叱ってしまうのは、あなたがそれだけ真剣に子どもの未来を案じ、一生懸命に生きている証拠です。その熱意の方向を、ほんの数センチだけ「管理」から「共感」へずらしてみませんか。

明日、目が覚めたら、子どもに何かを教えようとする前に、ただ一言「おはよう」と、その存在を喜んであげてください。それだけで、あなたは一歩前進しているのです。

 

あなたの不安が「発見」に変わるとき、子どもの未来は動き出す。
不完全なあなたのままで、新しい物語を始めましょう。

 

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