「自分が思っているより、世界は本当に広いんだよ」
不登校の子どもたちにメッセージを送るのは、小田急電鉄株式会社で運転士として働く別所尭俊さん。別所さんは「不登校にならなければ良かったと思うことはない」と語ります。
別所さんは小さなころから鉄道が好きで、電車の見える公園に行ったり、駅で新幹線を見たりと、鉄道愛を育んできたといいます。かつては「かっこいい!」と憧れの目で見る対象だった運転士という職業に自らが就き、今は子どもたちの「かっこいい!」のまなざしを受けて鉄道を走らせる。そんな別所さんは、中学1年生から卒業までの3年間、不登校でした。
インタビュー前編である今回は、不登校時代のエピソードについて話していただきました。
不登校になり、一時は「今日のことで精一杯で明日のことは考えられない」という状態だったという別所さん。そんなどん底の状態から気持ちが外に向き始めたきっかけ、親御さんの関わり方が、現在不登校問題に悩む方の参考になれば幸いです。
【プロフィール 】
別所尭俊(べっしょ・たかとし)
\わっしー&べっしー/
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【この記事のポイント】
不登校になったきっかけ
——子供時代、どんな性格の子だったと思いますか?
不登校になった理由にも繋がるかもしれないのですが……よく言えば非常に真面目で、曲がったことが許せない。型にはまっているようなタイプの子だったと思います。
小学校のころも、先生から言われたことをちゃんと守るものだと思っていましたし、それを守っていない友達がいると「ちゃんとやろうよ」と注意しているような子供でした。
——不登校になったきっかけは性格由来だった、ということですか?
今思うとそうなんじゃないか?と思うというところなんですが……。
中学は私立を受験しました。そのときは、自分で通いたいと決めて入学した学校だったので入学前からすごくわくわくしていました。しかし、いざ入ってみると、よく言えば「自立主義」悪く言えば「放任主義」な学校。
勉強面では楽しいこともあったのですが、中学校1年生が学校の指導も入らないままに放っておかれると、周りの人たちが結構いろいろなことをしていて……。私は当時それがどうしても許せなくて。最初はそれに反発していろいろ言ったりもしていたのですが、だんだん「なんでこの学校に通わないといけないんだろう」ということを考えるようになりました。
そういう性格の子どもだったので、クラスメイトともそりが合わず。
少しずつ学校に行くことそのものがつらくなってしまった。当時私立の中学だったので電車通学をしていましたが、学校が近づくにつれて体調が悪くなっていく、ということも増えていきました。そうして、通わなくなったという流れです。
——それはおつらかったですね……。
当時は非常につらかったですね。今はいい経験をしたなと思っているのですが、当時の自分からしたら大変だったろうなというのは感じます。
——不登校の時期には、どんなことを感じていましたか?
最初は「どんなことを感じているもなにも」という感じです。なにも考えられない。
とにかく学校から離れたい、避けたい。
「学校に行くことがすべて」という価値観は当時持っていましたし、
学校に行かないのは落ちこぼれ、悪いことという罪悪感もありました。
かといって、頑張って学校に行けるかといわれるとそういうわけではない。
しんどくなる一方でした。避けたいという気持ちは、特に最初の頃は強かった。
「学校のことを考えたくない」「今日のことで精一杯で明日のことは考えられない」と思い詰めていた時期もありました。
とにかく学校というもののことを考えたくない、というのが一番でしたね。
「好き」を生かせたことで前向きに
——気持ちが外に向いたきっかけのようなものはなにかありましたか?
1つの大きなもので衝撃的に変わったというものはあまりないです。
不登校経験者の方は多いと思いますが、よくなったり、悪くなったりくりかえしながら心のエネルギーが回復していくと思っていて。自分の場合は、じっくり時間をかけたのがよかったです。
——時間をかけながら心のエネルギーが回復していった、具体的なエピソードがあれば伺いたいです。
1つは、当時通っていた学校のスクールカウンセラーの先生がすごくいい先生だったことです。「学校来なくてもいいんじゃない?」ということを両親にも伝えてくれていたんです。
当時私自身はカウンセラーの先生とは直接話さず、両親を通じてというかたちではありましたが、つらいことから離れて、好きなことをやってみたら?と大人から言ってもらえたといいうのは大きかったです。
次に、野球部の仲間に恵まれたことです。
小学生から野球をやっていて、中学に入っても野球部に所属していました。
「学校に行かないからといって、部活も休む必要はないんじゃない?」と言ってくれる仲間が何人かいました。ずっと参加できていたわけではないのですが、ちょくちょく野球部には顔を出して、試合に出してもらったりという経験もできました。
私の場合は「周りの人に恵まれた」というのは感じていますね。
どの人も「学校に来い」というスタンスで来る人が非常に少なかった……私が避けていただけかもしれませんが(笑)、少なかったのがよかったなと思いますね。
——学校に登校できていなくても「部活に来なよ」と声をかけてくれる部活仲間、とてもいい関係ですね。
そうですね。当時は学校に行っていないからといって、部活も休まなくてもいいんじゃない?部活だけ来てもいいんじゃない?というスタンスでいてくれた友人が多かったのは非常にありがたかったなと感じます。
なので、合宿に行ったりもしましたし……授業には全然行けなかったんですけどね(笑)
——部活の仲間からの声掛けもあり、外に出ていくきっかけを得られたわけですね。
毎回行けていたわけではなかったですが、それは本当にそうですね。
「好きなことをやってみたら?」というのを、スクールカウンセラーの先生からも言ってもらっていたので「じゃあ自分の好きなことってなんなのかな?」ということを考えるきっかけになりました。
今出たのは野球の話ですが、実は一番大きかったのは鉄道。1人で青春18キップを使いながら鉄道に乗りに行く旅に出たこともありました。両親が理解をしてくれて、協力してくれたのも大きかったです。
私の場合は「好きなことをする」というのが、外に出る大きなきっかけだったなと思っていますね。
歩み寄り、支えてくれた両親の存在
——親御さんの理解があるというのはありがたいことですよね。別所さんの親御さんとの関係性、関わり方というのは当時どういったものだったのでしょうか。
良好……だったと私は思っています(笑)
元々母は専業主婦、父はサラリーマンをしていました。一人っ子だったので、不登校などの課題については両親ともに全力投球で向かってきてくれていましたね。
今は共働きのご家庭が非常に多いので難しい部分はあるかと思いますが、私個人としてはいつも母が家にいてくれたのは安心材料でした。不登校になるまでのあいだも、私の人生を母が支えてくれていたというのも感じていたので。不登校になる前までにいい関係を築けていたというのは大きかったのかなと思います。
——ご両親がスクールカウンセラーの先生と話をしていたというエピソードからも、不登校問題と向き合っていたご両親の姿勢が伝わってきます。
これはあとで聞いた話なのですが……当時は実は、両親が私のことで何度も家族会議をしていたそうです。私は一切わからなかったし、知らなかった。
在学していた高校などで自分の経験を話したり、私の母が保護者会で話をしたりする場面を見たりするなかで、最近知りました。
特に父は、私が不登校になったことに対して、受け入れるのに非常に時間がかかったそうです。「どうなることかと思っていたんだぞ」という話を、ここ数年で言ってくれるようになりましたね。
——そうだったんですね……!不安や心配を別所さん本人に知られないように、うまく立ちまわっていたということですね。
そうですね。感じさせないようにするのが両親は非常にうまかったし、私としてもありがたいなと思っていますね。
——「親が子どもに不安を感じさせないようにふるまう」「不登校を受け入れる」といった点については、ご両親が不登校について積極的に学んで、努力なさってきたということなのでしょうか?
そうですね。リビングの本棚に、私が知らないあいだに不登校関係の書籍が増えていたりですとか。当時はあんまり気にしてなかったんですが、私が不登校だった当時から活動されている「不登校新聞」が置いてあったり。スクールカウンセラーの先生を通じていろいろな情報を手に入れていたということは、あとから教えてもらいました。
学校に行きなさいという考えも、多分最初のころはあったかもしれないですが、わりと早く「つらいことからは1回逃げて休んでもいいんじゃないか」くらいまでは思っていてくれたんじゃないかなと思いますね。
——そういった親御さんのスタンスが別所さんにとってはプラスに働いたと。
今思えばまちがいなくそうですね。
やはりそういうスタンスだったので、私が「好きな鉄道に乗りに行きたいです」という意志を出した時も「行ってみていいんじゃない?」と賛成してくれた。当然当時は自分ではお金は稼げないので、両親のお金で旅をすることになるわけですが、そこに関しても後押しをしてくれました。
時刻表を買って、それを見ながら頭の中で旅をしたりもするわけなんですが……。
当然、時刻表も親に言って買ってもらうことになりますが、それも協力してくれていました。そういう意味では、ありがたかったスタンスです。
周囲の人に恵まれた不登校時代を経て
周りの大人たちや部活仲間の支えもあり、じょじょに心のエネルギーが回復していった別所さん。好きなことである野球と鉄道からも「外に出るパワー」をもらい、少しずつ気持ちも前向きになっていきました。そんな別所さんを待ち受けていたのは「進路」という壁でした。
インタビュー後編では、小田急鉄道株式会社の運転士になるまでのロードマップ、運転士としての今の仕事について詳しくお話を聞いていきます。不登校を経験した中学時代を経て、その後別所さんはどのような人生を歩んでいるのでしょうか?
後編もお楽しみに!
\わっしー&べっしー/
「不登校を学びの可能性に変える」ことを目指して、AOiスクールを9月開講予定!
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別所さんと同様不登校を経験し、現在は小田急電鉄の運転手をしている鷲田侑紀(わしだ・ゆうき)さんのインタビュー記事はこちらから!