我が家には完全不登校になり7ヶ月の息子がいます。
完全ノー勉で、1日中ゲームかyoutubeをして過ごしてる。
もちろんわたしも最初からこの生活を許容できたわけではない。
どんな経過を辿ったのか
振り返って書き記しておこうと思います。
息子が不登校なりたての頃、
わたしは今とは考え方が全く違っていた。
学校に行きたくないのはわかった。
そこは理解した。
けど、家で出来ることはやらせなきゃ。
家に居ても勉強はできるもん。
ごく当たり前のことしか言ってないよね私。
そう思っていた。
行き渋って休んでいた頃は、
その日の時間割通りに算数や国語のドリル、漢字練習や計算問題をやるように言っていたし、
体育があれば公園に行ってみたり、
外で花びらを潰して色水を作ってみたり。
そんなふうに過ごしてます(ドヤ)
くらいの勢いで先生にも言っていた。
息子の勉強が遅れることを心配するよりは、
ちゃんとさせなきゃ、
甘い親だと思われたくない、
そんな思いからの行動だったように思う。
不登校になっても家でなら、学校でなければ勉強はできるって子もいるし、そこは人それぞれだとは思う。
でもうちの子はだんだん勉強するのを嫌がるようになっていった。
やる気なさそうに仕方なく、本当ーーに仕方なく、今にも突っ伏しそうに渋々机の前に座るものの鉛筆が進まなくなって。
少し間違えたりわからなければ泣いて怒って。
小さい下の子を見ながらそんな不登校児の勉強を毎日見るのはわたしにとってもとんでもないストレスだった。
そんな息子の様子にその都度ルールを考え直したり、無理なくできるにはどうしたらいいか?
優しく寄り添ってみたり、感情爆発で怒ってしまったり、泣き落としにかかったり←
色々試行錯誤してきたつもりだった。
その甲斐あって(と当時は思ってた)、
息子との話し合いを重ね、
“ゲームを1時間やったら休憩がてら勉強を挟む”という落とし所で少しの間は頑張ってこれていた。
でも、結局1時間ゲームやっては勉強は5、6問しかやらなかったりして結局ほとんどゲームじゃん!って、わたしが納得いかなくて。
しかもその頃やっていたのは、勉強へのハードルを一旦下げようと用意した小1、2のさんすうドリルだったこともあって、余計に。
どうしてこんなにも勉強が嫌なんだろう
学校が嫌なだけなんじゃなかったのかな…
家で勉強やれって方が無理なのかな
怠けたいだけなのかな
頭の中をいろんな気持ちが巡った。
ある日冷静に息子に直接聞いてみると
「勉強すると学校のこと思い出して気持ち悪くなるのが嫌」って。
その言葉といい、ひとまず今こんなにもやる気のない本人に、ただ飲み込んだものを消化するだけのような、作業のような勉強を続けてて意味があるのか…と思えてもきていた。
習慣として失わせたくなかった思いはもちろんあったけれど。
そうして迎えた冬休み。
もうわたしも声かけるのも疲れてたし、その度嫌な顔されたりするのもイライラしてたし、
みんなも冬休みだからもういいや
って、
突然私のちゃんとさせなきゃスイッチがOFFになって好き放題の毎日を過ごしてみた結果。
完全ノー勉息子爆誕しました🌋
いやなことでも頑張る力も必要とか、不登校の子どもの勉強を見るのは親の責任とか、それはそうなのかもしれないけれど。
その結果親子でストレス抱えて疲弊して。
うまくいかなかった。
けど、世間の理想論通り、親の思い通りにはいかないことだってあるということをこの件で学んだ。
子どもにも、意思や感情はあるのだから。
さらに勉強を巡っては夫とも衝突して、家庭内の雰囲気は殺伐として最悪になった。
そんな経験から、
不登校なんかよりよっぽど怖いのは、家族が壊れることなんじゃないか。今は正しいことを教えるよりも、子どもの気持ちを考えてあげることや家族仲良く過ごせることの方がよっぽど大切なんだ。
勉強なんてその次でいい。
(というかもはや本人がやる気出さない限り無理)
という考えに変わっていったのだった。
そんなこんなで完全ノー勉になった息子。
だけど確実にあの頃よりメンタルは安定したし、わたしの話も耳に入れてくれるようになった。
そしてわたしのメンタルまでも別人のように安定した。
学校の勉強をやらないのが全く気にならないと言えば嘘にはなるけど、いつか本人にやる気が出たらそのとき始めても遅くないと今は思っている。
息子のノー勉を通じて、心を潰さずに日々を守っていくことの大切さとその難しさに気づかせてもらった母だった。
コラムニスト:ayamo
5歳差ボーイズ子育て中、2児の母。
上の子は2年間の完全不登校から、一歩を踏み出し中。
愛すべき日常や、そんな暮らしの中の不登校を綴ります♡飄々とした人に憧れる暑苦しい人です。
note:https://note.com/ayamo3278