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#3 小学校編です。
ちょっと、つらくて重い回になります。
そんなこんなで無事小学校に入学した息子。
わたしの記憶では最初の方は訳もわからずなんとなーくみんなと同じように普通に通ってたような気がしていたけど、
当時の夫とのラインを見返すと、息子が友達関係で悩んでいた様子や、
行きたくないけど頑張って行ってる様子が……
マイペースすぎる。
一斉指示が通らない。
忘れ物や無くし物が多い。
話を聞いてるのか聞いてないのかわからない。
懇談会で言われるのはいつもこれだった。
おいおい、もうちょっとしっかりしてくれないもんかなぁと思ってたし、実際口うるさくも言っていた。
この頃わたしが本当に困っていたのは、息子が
「何が嫌なのか、なんで嫌なのか」がとにかく説明できず、嫌だったり困ったりすると何も言わずに固まったり泣いたりしてしまうこと
だった。
そんな息子に対してわたしは、
「何でいっつもそうなの?お母さんは超能力者じゃないんだから言ってくれなきゃ何もわからないよ」って……
あーなの?こーなの?って質問攻めにしたり、
いつもめちゃくちゃ怒ってしまっていた。
わたしが怒ると余計にその場がこじれるんだけど、
はっきりしない息子にとにかくイライラしていたし、自分の怒りの感情をコントロールできないでいた。
宿題もやたらと時間かかってたり、少しのことで泣いて怒ったり。
小学生になって急に育てにくさが増してきたなぁ……と、ずっと悩んでいたのだ。
我が子のことが大事だからこそ悩んでいたのに、わたしのその困惑はイライラとなって爆発しては息子にぶつけてしまっていた。
もっと、ちゃんとさせなきゃ。
世の中甘くないよ?
少しのことでへこたれないの!
大変なのはみんなも同じだよ?
本当は今振り返ってこうして書くのも嫌なくらい、子どもの気持ちをわかってあげられないひどい母親だった。
『もう小学生なんだから、もう少ししっかりして欲しい』
『言いたいことは自分の口でしっかり伝えられる子に育てなきゃ将来この子が困る』
そんな思いに支配されていた。
1、2年生のうちはたまに休ませたり遅刻したりしながらなんとかやり過ごしてきたけど、3年生になって本格的な行き渋りが始まって。
これまで通りに少し休ませたりしてもなんだか調子が戻らなくて。
それどころかどんどん事態は悪化した。
そりゃ、行けなくなるのも時間の問題だっただろう。こんなにもずっと頑張ってきたんだから。
本格的な行き渋りに親子で疲弊し、運動会まで何とか頑張って、ついに力尽きた我が子。
このあとスクールカウンセラーに繋がり、そこで初めて発達検査を勧められることになります。
息子は知的には遅れがなかったし、マイペースさはあったもののトラブルも起こさず悪目立ちすることもなく、誰にも困り感を分かってもらえない中ずっと頑張ってきた。
わたしもそれを息子の根性がないからとか、何でこんなに頑張れないんだと思ってしまっていた。
この辺りのことを思い出すと、わたしはこの子の何をずっと見てきたんだろう……と、あまりの自分の無能さに辛くなってくる。
わかってあげられなくて本当にごめんねと、今さらだろうが何度でも懺悔したい。
しかしこのときのつらさが、後にわたしを変えていく原点になったのは間違いない。
自分の間違いに気付き、生き方すらも見つめ直すきっかけになった息子の不登校。
同じ境遇の仲間と出会い、辛さを分かち合い、自己理解への取り組みを始めたことで状況はすこしずつ好転していった。
不登校初期の大パニック期もこの時期に匹敵する辛さだったけど、また機会があったら書こうと思う。
コラムニスト:ayamo
5歳差ボーイズ子育て中、2児の母。
上の子は2年間の完全不登校から、一歩を踏み出し中。
愛すべき日常や、そんな暮らしの中の不登校を綴ります♡飄々とした人に憧れる暑苦しい人です。
note:https://note.com/ayamo3278